事実と意識

桜の花は散り、庭がお花畑になってきた。

 

先日、やっと気づいたことがあった。

自分に全くない感覚に気づくのは難しい。

一つは、

頭で理解をしていないのに、理解しているかのように説明できるという現象。

もう一つは、

加害妄想。

 

一つ目のことについて

頭ではわかっていたり、考えていたり、思っている。

でもそれをうまいこと言葉に表せない。

ということはよくわかる。

それを言い換えると、

思考と発する言葉が乖離している状態(現象、症状)。ということになる。

その状態があるということは、

とても理解しているような言葉が出てきていても、自分の思考にはなく、理解もしていない。

という現象も起こり得るんだな。

ということに気づいた。

それによって、よくある現象には、自分の未知なる真逆のことがあるわけだ。と理解した。

そのおかげで、

被害妄想という表現はよく聞く。

ということは、その反対の加害妄想。もあるわけだ。

とわかった。

全く自分が関与していない事柄に関して、そんなことまで?ということまで、「私のせい」

と思ってしまうお客さんがいる。

今までその要因となっているであろうものたちをたくさん捨ててもらってきた。

それでもまだ出てくる。

やっとわかった。加害妄想じゃん!と。

いや~。盲点だった。そして捨ててもらった。めでたしめでたし。

 

現実や事実、現象と人の意識と心情は乖離しやすい。

それがとても厄介なんだ。

現実をみて、冷静に判断し、対処できれば、ぐちゃぐちゃにはならないことがたくさんある。

私が思うに、厄介を招かないために必要な意識は、

被害者意識でも加害者意識でもなく、当事者意識。

当事者意識と主体性をもって、

一体自分は今何をしているのか、どうしたらいいのか、今解消するべき問題は何なのか?

現実を見て対処していけば、こじれないと思うよ~。

 

当事者意識がないと、

実際相手に危害を加えていても、他人事。自分は悪いこと何もしてないで~す。

となる。

 

誰かの足を踏んだとする。それは事実である。

それに対して、痛い思いをさせちゃって悪かったね。とあやまる。

どっちのせい。とかではない。

たまたまそのタイミングで起こってしまっただけなんだ。

 

故意に危害を加えようとしていたなら加害者といえる。

そういう場合は、自分は加害者だ。という認識を持つ必要がある

それが、当事者意識というものだ。

だけど、当事者意識がない人は、自分を正当化させるんだ。

そうやって世はこじれていくみたいだなあ~。

 

 

現実逃避、錯覚、妄想、正当化。みんな不思議なくらい知らないうちにやっている。

地球は不思議に満ち溢れているなっっ!

遠隔中のみなさまにむけ、そういうものたちを捨てる。を追加しておきました。

 

事実と意識の乖離を捨てて、無駄に悩むのやめましょう!