ちびっちゃ~い虫がいた。
撮ってみた。
でもこの写真では大きさが伝わらない。
指の上にのせてみようと思った。
触れたら窓から落ちた。
あら~ごめ~ん。と謝りながらもしつこく、指にのせようとしていたら、飛んだ。
飛んだとたん、すっかり見えなくなった。
少ししたら、とまっていた。
どうにか指にのせた。
このちっちゃ~い虫にとって、私が介入した時間はどんな感覚だったんだろう。
皆目見当がつかない。
落ちても痛くなかったのか、めっちゃ痛かったのか、すんごい距離を飛んだのか。飛んだ感覚すらないのか。
何か見えているのか、見えていないのか。違うものが見るのか。
私のとっての数秒が、この虫にとってはどんな長さなのか?
全く何の感覚もないかもしれないし、あるかもしれない。
感覚があったとしても、人間のそれとは別世界なのだろう。
私は、昨日「無駄な苦しみ」を捨てた。
他人に何が起ころうと、どれだけ苦しもうと、私は常に楽ちんで穏やかで幸せを堪能していよう。と思った。
昔は、他人の苦しみをおもい、自分も苦しんでいた。
それは、無駄な苦しみだ。と、昨日理解した。
無駄に苦しんでどうする私。
私はすこぶる薄情で、どこまでも冷静で、穏やかな状態で、リリーシングを必要としてくれる人たちと関わるべきなんだ。
つらさに同調、同情、動揺して一緒に苦しんでいたら、みんなを楽にできないわけだ。
虫に限らず、人間も、みんなそれぞれの肉体の感覚と体感で生きる。
それを、同じまま自分が体感することはできない。
でも聴く。体感を共有できなくとも、主観と私情を捨てて理解し、癒す。
それが私の仕事であ~る。
虫よ、飛べ!
って、言われなくても飛びたいときに飛びまっせ~。
大きなお世話よ、さようなら~~~。
どこまでも人間は、残念にちびっちゃ~い。
ちびっちゃ~い虫は、つやつやキレイだった。