善悪の外側

数日前から、

「善悪の外側」

という言葉が浮かんでいる。

これでブログを書こう。という思いがあるんだけど、

何書けばいいかな~。

 

私は、他人を咎めたり責めたりするのが嫌だった。

それを卒業したくて進んできた。

私の中から、良し悪しの色付けが無くなれば、そこに到達できるだろう。と。

 

良し悪しは、一般的な社会的常識から、自分の体験から自ら作り上げているものもあり、更には無自覚なレベルでも起こっている。

ほんの些細なことまでも。

その色付けは、自分で作り上げて、信じているだけものだから、なくしていくことができるんだ。

なくしていくと、あら~、そんなことが悪いことだと思っているの?

とか、なんであんなことで怒っていたんだろう?と不思議になっていく。

 

広~い器と、引っ掛かりのない目の粗いザル。どっちなのか?わからないけど。

 

地球の中で、人間として、日本人の女形としていながらにして、どこまで追求できるだろう。

いけるとこまでいきたいな。

気楽で自由で穏やかな、何でも受け入れられる、大きな世界。

善悪の外側。

 

最近のまもリリ効果はめざましく面白い。そのことについて、今度書こう。

シーズン到来、みちなしは、カメムシ小屋になってきた。

くさい時もあるけれど、お許しくださいませませ。

 

今日ものんきにリリします。