二極と対極の世界。その感覚。
薄れてくると平たくなる。
味気もメリハリもない。
浮き沈みがない。
喜びも苦しみも。
でも私には、快、不快という生理的なものがまだある。
くさい、寒い、痛い、気持ち悪い。このあたり。
そこを抜けるには一体どうしたらいいのか?というか、どうさせられていくのかな~?
正しさについて、私なりに理解したことがあった。
正しさの世界は、やりたい世界と全然違う世界である。
「教え」の世界である。教えは、信念とつながる。
いかに信じ込ませるか。
人間はそうやって、子供を調教する。
自分にとって正しいと信じていることを、教えてあげる。
「人間は育つ、成長する」という錯覚の中では、教育という言葉が生まれる。
でもそれは、人間社会で生き永らえさせるすべをただ教え込んでいるだけのこと。
「子育て」という概念があるならば、それは、胎内で肉体が形成されていく間だけのできごとだ。
あとは、放っておいたら死んでしまうその生き物を、いかに長く保持するか。ケアとサポートが行われていくだけのこと。
なんじゃないの~?と私は思う。うぴゃぴゃぴゃぴゃ。
数年前、人間に苦しみがなくなることを願っていた私は(今はそんなこと願っていない)
地球上から「すべき、ねばならない、must」という概念が一晩で消えないかな~。と思ったりした。でもそんなことは起こるわけもなかった。
そして、私の想像以上に、「しなければならない」に頼って生きてる人がいることを知った。だから、それがなくなったらいったい自分は何をしたらいいのかわからなくなって困っちまうぜ!って人が現れるんだな。
結局今ある概念は、今ある人たちに必要なんだ。
メリハリは、つけなきゃいけないものでもない。楽しめたならしめたもの。
自分を邪魔する制限を、取っ払って楽になろ。
ハレもケもないみちなしは、年末年始も関係ない。
これたらきてね。化粧もマスクもいらないよ。