出来上がった社会の中に、出来上がったルールの中に、ポンと生まれてきたんだから、わからないことが多くて当たり前なんだ。
それなのに、叱られる。
ルールが作られた時には、理由がある。
その時には何かが問題になったから、ルールを作る。
でも、そのルールが当たり前になると、そもそもの問題が消えて、必要なくなって、見えなくなる。
信号は、ぶつからないためにできたのだろう。
ぶつからなければいいのだろうが。
守らなければいけないルールに変化する。
決められたことだからやるもの。
決められたことに則っておけば安心なんだ。
何のためにできたのか?
何でこれをしなければならないのか?
なぜ習慣づけるのか?
人は理解がそれぞれだから、混沌とし、衝突する。
みんなを一緒にしようとするのは無理がある。
時間が経って、問題が問題と捉えられなくなっていっても、決められた形式だけが残ることがあるだろう。
外身が残り、中身はどこへ?
そもそも、そもそもは消えていくものかもしれないよ。
気遣いは、相手の気をも遣わせる(昨日浮かんだ一句なり)
そもそもを知りたくなったらみちなしへ
同じもの、角度を変えるとどう見える?↓