「どこかに本来や、元の姿がある」
と、どこかで信じていた。
でも、今はそれがなくなっている。
自分の元のカタチ、それはいったいなんなのか?
よくみんな、予定や予想が、確定した現実と違うと「本当は、こうだったのに」「こんなはずじゃなかった」と思い、なぜか腹が立ったりしがちだ。
でも、もし「本当」があるならば、確定したものや現実の方が本当なように思える。予定や予想は、空想でしかない。
でも、確定したもや現実は「本当」なのか?
「本当」という捉え方自体をなくしてしまえば、ただの出来事でしかないので楽になる。
私はみんなを、戻したり、治すのではない。
変えていく。今まで生きてきた方向と違う方向に、変えていく。
(そもそも、全てが変化の過程であろうから、いつかの自分に、同じように戻ることってのはできることとは思えない)
楽に生きていけるようなものに変えるので、肉体も変わるし、物事のとらえ方も、意識も変わる。
「なんであんなことに一生懸命だったのか?」
「いちいちいらだっていたのか?」
「なんで正しいと思っていたのか?」
「なんであんなにつらかったのか?」
「今思うと不思議」
気になっていたことが気にならなくなって、楽になる。
ありがたい世界から、ありやすい世界へ変わっていく。
数年通い続けてる人たちは、不思議だ。不思議だ。と、不思議を体感をしながら、それなのに、当たり前のように変わってく。
みちなしには道も教えもありませぬ。